嘱託医からの
メッセージと医療情報
塩野義健康保険組合 嘱託医 星賀正明
日本人特有の体質を考慮した医療
皆さん、新型コロナウイルスが発生してから丸2年が経過しましたが、いかがお過ごしでしょうか。ウイルス変異等により感染力や重症化は変化していますが、感染対策として遵守すべきことは変わっていません。また、予防および治療に関して、シオノギに対する期待はますます高まっています。
今回の健康医療情報では、日本人特有の体質を考慮した医療が重要であることをお伝えします。先頃の冬季オリンピックを見ても、わが国を含む東アジア人と欧米の選手では体格がまったく違います。この体格差により、お薬の使用用量がかなり違うことは昔から知られていました。最近、世界中の情報共有が盛んになり、また特にわが国での世界一の急速な高齢化により、それぞれの国の特徴が大きくクローズアップされています。
2016年に医師の奥田昌子さんが、『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社BLUE BACKS)という本を上梓されています。その中で、がんの発症率が国によって異なることが述べられています。2014年の統計で、日本の人口は世界人口の1.8%ですが、胃がんの発症数は世界の11.3%、肺がんは5.2%、肝臓がんは4.6%を占め、これらのがんの発症が日本人に多いことがわかります。この原因として、胃がんはピロリ菌の感染、肝臓がんは肝炎ウイルスの感染が多いことが挙げられましたが、これらの感染は治療可能となっており、実際発症数は減少しています。
ヒトの全遺伝子が解読可能になり、人種による差異も見つかってきています。たとえば、健康な日本人において、遺伝子変異がどの部分に生じているかを調べた研究があります。その結果、多くの遺伝子変異が見つかりましたが、その半分は日本人に特有の変化であることがわかりました。このような遺伝的素因によるものと環境因子によるもの、この2つにより体質が異なってくると考えられています。
アルコールを摂取した際、有害物質アセトアルデヒドが生じますが、ALDH(アルデヒド脱水素酵素)により分解され、無害になります。しかしALDH(特にALDH2という酵素)は人種によって働きが大きく異なっています。欧米人は皆ALDH2を持っていますが、日本人では半数近くの方がALDH2を持たないか、働きが弱く、アセトアルデヒドを処理できません。この現象は東アジア、いわゆるモンゴロイド特有のものです。重要なことは、ALDH2の完全欠損でなければ、アルコールが弱い人も次第に飲めるようになりますが、アルコールによる健康障害(がんの発症や血圧上昇)は欧米よりも日本人は多いといわれています。アルコール量は、日本人では特に気をつける必要があります。
日本人は1970年代まで死因第1位は脳卒中でした。中でも、脳出血が脳梗塞を上回っていました。この2つの病態は、前者が出血、後者が血栓であり、相対するものです。現在では脳卒中は死因の4位に低下し、脳出血は脳梗塞の半数以下です。このように、日本人は脳出血の発症を抑えることにより、世界トップクラスの長寿国になったのです。もっとも貢献したのは、高血圧への対応だと思います。当時は1~2種類にとどまっていた降圧薬の種類が増え、ほとんどの方が血圧をコントロールできるようになりました。また、健康診断と家庭血圧計の普及が大きいと考えます。しかし、このような恩恵を受けたのはわが国だけではないはずです。ここで、体質の違いがクローズアップされます。もともと、我々日本人は「血液が固まりにくく、梗塞よりも出血を起こしやすい」人種なのではないでしょうか。体には、血液を凝固する機序として、血小板や凝固因子などがあります。役割は、出血した際に止血することです。一説には、出血のリスクが高い狩猟民族のほうが、農耕民族よりこの止血の機序が働きやすいとされています。
全世界の死因第1位は、心筋梗塞を代表とする虚血性心疾患ですが、これは血栓が原因です。先進国の中では、日本がもっとも虚血性心疾患の罹患が少ないとされています。とはいえ、わが国でも虚血性心疾患は、食事の欧米化や肥満・糖尿病の増加により増えています。虚血性心疾患の治療・予防には抗血小板薬などを用いますが、その際に日本人の出血しやすさを考慮する必要があります。抗血小板薬のみならず抗凝固薬といった総称「抗血栓薬」は、現代の医療において使用頻度が高く、複数の抗血栓薬を内服する機会が多くなっています。欧米における推奨治療法では、日本人には副作用としての出血が増える可能性がありますので、わが国独自の治療ガイドラインが発表されています。
急速な高齢化で増加しているのが心不全です。世界的に心不全は増加傾向で、治療法も次々に開発されていますが、ここにも人種差が影響を及ぼします。まず、心不全の原因として、欧米では前述した虚血性心疾患が多いのに対して、日本人は異なります。高血圧や高齢による心臓の硬さ(拡張しにくい)が原因になっている場合が多く、この場合は心臓の収縮は保たれています。日本人の心不全では、高齢で、女性に多く、痩せ型で、筋力低下(サルコペニア)をお持ちの方が典型例です。世界において、そのような方々を集めたデータはほとんど発表されていません。わが国では、こういった患者さんについて、退院後の生活を支える介護も含めて大きな課題になっています。いま、日本全国でさまざまな工夫がなされています。これも日本人の体質を考慮して、これからの方針を探っていく必要があります。
以上のように、諸外国と比較して、日本人は多くの領域で体質が異なり、それらを考慮した医療が必要になってきます。今後の発展を期待したいと思います。